2019/10/15

9月末に好きだった人が亡くなった

この亡くなったは生命の生死ではなくTwitterのアカウントとアカウント名が亡くなったことを指す。そんなこと頻繁と思うかもしれないが好きだった人が唐突に亡くなったのではなく予告をして亡くなったのだ。

自分はとても精神が弱く、特に環境の変化にとても弱い。あったものが無くなる、人が居なくなる変わる増える、これらの変化した後は誤魔化せるが(変わってしまったものは仕方ないと多少は割り切れるため)変わる前にめっぽう弱い。

そんな中での予告自殺である、それはもう気持ち悪くならないわけがない、実際9月末付近は慢性的に気持ち悪かった(最近だといつもになりつつあるが)

アカウントが消えてから2週間後、スマホWebブラウザのタブを漁っていた(自分はタブをめっちゃ残すタイプなので今も50,60タブぐらい残っている)とき、その人のブログがタブに残っているのを見つけた、これはいつでもみれるようにと残した(と思う)やつだ。

しかし自殺する際その名前と関するもの全てを消すと思っていたためブログも消えていると思った。ここでブログを開かなければ残っているかもしれない状態で自分は生活を出来る(こんな考えになってしまうほどに自分は変化が嫌いで現状維持が好きだ)と思い開くのを躊躇した。

だがそれ以上にその人がこのブログで生きているか、生きていてほしいという想いが強くページを開いた。

なんとブログは生きており更新もされていた、内容のテンションも自殺前のままで凄く安心して読めた。

この話にオチがあるわけではなくこれで終わりでただ失ったものが一部だが戻ってきたという話である。

こんなもんツイッターに書いたら長いわ何言ってるんだこいつってなるのでちょうどいい落書き帳に書き残した。書く前に想像していた文字列に全然ならなかった気がするがそこは普段文字列を書かないツケだと思った、満足に文が書けないのは悲しい。

 

上記の話はここまで、ここから今

 

すごく大きい台風が来た、この台風でまた好きな人が亡くなる(今度は生命の生死)かと思い気が気ではなかった。上の話と似てしまうが環境が変わってしまうのだ、落ち着けるわけがない。

自分も被害が出るようなところにいたが自分のことなんてどうでもよかった、周りの普段あるものがそのまま在り続けて欲しかった。

ってことで連休は気圧もありかなり体調が良くなかった(ゲームをして無理矢理気を間際らしていた)

結局被害はそこまで出なかったみたいだがそれでも自分の精神状態がよろしくないので現在TLはリストの限られた人のみみて制限をかけている(こんな時にいやなツイートなんてみたらうまくやり過ごせる気がしない)

 

今までで1番長く殴り書きできたかな?こんなのただのチラ裏だけどブログなんてそんなものでしょう